「わて」という女

「わて」という女

地方の言葉というのは味わい深いものです。私はなまりのないところの生まれなので、地方から来た人の使う故郷の言葉に憧れの気持ちがありました。青森の言葉はなんとものびやかで、博多の言葉も実にやさしい。京都の言葉は女の人が話すと色っぽくて三割増しで美人に見えます。その中でも大阪弁、関西弁というのは元気がよくて明るくてパワフルで、そんなイメージがあって憧れる人の多い言葉なのではないでしょうか。

先日、スターバックスで昼ごはんを食べていたら大きなキャリーケースを引いた中年の男性と女性が隣に座りました。男性はあまり風采があがらなくて、始終貧乏ゆすりをしていましたが、どことなく目元の優しいおっとりした雰囲気があります。女性の方はかなり美人で、頭のよさそうな人だと一目でわかるようなはつらつとした空気がありました。

二人は大阪弁で、ずっと男性の仕事で出会った面白い患者さん(どうやらお医者さんらしいのです)のうわさをしていました。その話自体も興味深かったのですが、面白いのは女性がすぐに「しかしそれも失礼な話やで」ということで、これはどうやら彼女の口癖らしく、「別にそれ失礼じゃなくねぇ?」と思うようなことでも「失礼な話やで」。最後の方は、男性の髪が最近心もとなくなってきていることを彼女が責め、男性が「出会った頃から禿げてたで」と開き直るのを「しかしそれもずいぶん私に失礼な話やで」とかなり本気な調子で言いだし、男性も不安になっている頭髪について指摘されて腹も立っていたのでしょう、むっとして黙り込み、一気に嫌な空気がお昼のスターバックスに。軽快な関西弁のハゲネタがどうしてこんな険悪なことに、と他人事ながら私がひやひやしていると、その空気をとりはらったのも大阪弁でした。

男性が年をとったら海外に移住したい、という話をいささか唐突にはじめまして、彼女も悪いと思っていたのかそれに乗っかり、最終的には「わてらの終の棲家を探そうか」という話に落ち着きました。おそらく旅先であろう東京でなんとか仲直りしてくれてよかったと思う反面、女性が「わて」という一人称を使ったことに戦慄も覚えました。これ、ふざけてただけですかね?いやぁ、関西弁。味があります。

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私の中の16歳

一番好きな本、の話をしていました。ある人が一番好きな本に「オズの魔法使い」をあげたことから、なぜそのチョイス?みたいな話になり、そこから私は東野圭吾の「手紙」とか、私は「きらきらひかる」とか言いだしたのです。

頭の固いファンタジーファンの私のもっとも愛する本は「指輪物語」と言いたいところですが、本でいうなら「ライ麦畑でつかまえて」です。サリンジャー。高校生みたいなチョイスですけれど、何度読んでも心が動くので、ずっと一位のままですね。

ご存知でしょうが、「ライ麦畑でつかまえて」は学校を退学になった主人公が家に帰るまで二三日ぶらぶらしている間の出来事を書いただけの物語です。主人公のホールデン・コールフィールドは成績は英語(日本でいう国語ですね)以外はてんで駄目、ケンカも弱くて口ばかりで実の無いような、一見そんな少年です。大好きだけれどちょっと不満を抱いている作家の兄と、ものすごくかわいがっている妹がいて、彼を愛してくれる両親がいます。そして弟がいます。死んだ弟が。主人公はその弟をすごくかわいがって自慢に思っていたんですが、弟は死にました。病気です。弟が死んだ日、彼は素手で車の窓ガラスを叩き割って、それで手に大けがをしました。彼は自分のその日のその行動を振り返って、特に意味はないけれどなんとなくやった、怪我は治ったけれど今でも本当に硬いげんこつは作れない、でもかまわない、ボクサーになるとかそんなんじゃないんだから、となんでもない風に言います。それが、なんというか私にはたまらなかった。大好きな弟が病気で死んで、窓ガラスを叩き割る彼の気持ちはなんだかとても。そして雨が降って、お墓詣りの人が引き上げた後に残されるお墓も、その下の死んでいる人、ずっと死に続けている人への気持ちもすごくよくわかる。そんなことを何を言っているんだという人もいるでしょうが、でもさっきまでわざとらしく泣いておいて、雨が降ったらさっさと濡れないように墓から退散する人は、それは本当に本当の気持ちで死者を思っているって言えるんでしょうか。

とか、そういうセンチメンタルを言いだすから私は高校生みたいな本が好きなんでしょう。でも人間はすべて、今まで過ごしてきた年齢の心を一生持ち続けるものです。と、少なくとも私は思います。だから私の中の16歳が、「ライ麦畑」を好きでたまらないのでしょう。